土. 1月 10th, 2026

パソコンを買った日、
少しだけ怖かった。

胸が高鳴るようなワクワクじゃなくて、
静かに、でも確かに重たい感情だった。

家を出る前、
玄関で靴を履きながら、
何度も心の中で確認していた。

「本当に必要?」
「買っただけで終わらない?」
「使いこなせなかったらどうする?」

答えは出ないまま、
ドアを閉めた。

家電量販店は、
平日の昼間なのに人が多かった。
白い照明が少し眩しくて、
店内に流れる軽快な音楽が、
妙に浮いて聞こえる。

私は、
パソコン売り場の前で立ち止まった。

ずらりと並ぶ画面。
どれも綺麗で、
どれも「できる人」の持ち物に見えた。

値札を見るたび、
心臓がきゅっと縮む。

これを買うってことは、
もう戻れない気がした。

「やっぱりやめようかな」

何度もそう思った。
スマホさえあれば生活はできる。
今までだって、困っていなかった。

でも、
困っていないだけだった。

未来の私は、
このままで本当に納得するんだろうか。

展示されているキーボードに、
そっと指を置く。
冷たくて、少し硬い感触。

このキーボードで、
何かを書き始めるかもしれない。
何もできずに、埃をかぶるかもしれない。

どちらになるかは、
分からなかった。

店員さんが近づいてきて、
優しく声をかけてくれた。

「ご自宅用ですか?」

その一言に、
少しだけ詰まる。

「副業用です」とは、
まだ言えなかった。

「……在宅で、少し使えたらと思って」

自分の声が、
思ったより小さかった。

説明を聞きながら、
頭の中は別のことを考えていた。

この支払いは、
期待への投資なのか、
不安への賭けなのか。

レジに向かう足取りは、
重かった。

カードを差し込む指が、
少し震えた。

金額が表示された画面を見て、
息をひとつ、深く吐く。

もう後戻りはできない。

でも同時に、
不思議と逃げ道も消えた。

箱を抱えて店を出ると、
外の空気が冷たかった。
現実に戻されたような感覚。

重たい箱を腕に抱えながら、
私は思っていた。

怖いのは、
パソコンじゃない。

この先、
「やらなかった言い訳」が
使えなくなること。

「環境がなかったから」
「道具がなかったから」

もう、
それは言えない。

家に帰って、
箱を床に置く。

しばらく、
ただ眺めていた。

静かな部屋。
カーテン越しの光。
新品の箱の角ばった形。

それは、
可能性みたいで、
同時に覚悟だった。

電源を入れるまで、
少し時間がかかった。

でも、
その怖さの正体は、
ちゃんと分かっていた。

期待して、
失敗するかもしれない怖さ。

それでも、
何も期待せずに過ごすよりは、
ずっとましだった。

あの日、
私はパソコンを買った。

それは、
何かができるようになる日じゃなくて、
「もう逃げない」と決めた日だった。

投稿者 minatsu

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